2005年公開の映画「ONE PIECE THE MOVIEマツリ男爵と秘密の島(以下、「オマツリ男爵」)」を見たことがあるだろうか。ご存じ世界的人気作を誇る「ワンピース」の劇場版第6作なのだが、本作はファンから賛否両論が激しい問題作として有名なのである。監督は、これまた言わずと知れた細田守

【画像】ナミにビンタされるウソップ

 細田監督も多くの作品で賛否両論を呼んでいるが、その背景には「自分の経験を反映させるエゴイスティックなまでの作家性」と「孤独への辛辣なまでの向き合い方」があると、「オマツリ男爵」を見返すことであらためて確認できる。

 この記事では「オマツリ男爵」がカルト映画として不動の地位を獲得している理由について掘り下げていく。「ワンピース」の劇場版として、同じく異色作である「ONE PIECE FILM RED」が大ヒット中であり、細田監督作の中でも特に毀誉褒貶が激しい「竜とそばかすの姫」が地上波放送される今こそ、「オマツリ男爵」を振り返るには絶好のタイミングのはずだ。

【※※※※以下、「オマツリ男爵」の具体的なネタバレは避けたつもりですが、大まかな物語の流れや一部の展開について触れています。未見の方はご注意ください※※※※】

キャッチコピーポスター詐欺

 「オマツリ男爵」につけられたキャッチコピーは「今度の映画、もれなく笑いがついてくる!!」や「史上最大の笑劇!」だった。劇場公開時のポスタールフィニッコニコの笑顔で、DVDジャケットも満面の笑みのルフィをはじめ楽しそうな雰囲気となっていた。

 だが、本編を見るとこれらはほぼ詐欺と言ってもいいレベルである。いや、確かに前半は仲間と共にさまざまな試練に挑んでいく楽しさがあるし、ナミが理不尽な展開にツッコミを入れるなどのギャグもあるので、「笑い」を打ち出した触れ込みそのものはウソではない。

 だが、後半ははっきりおぞましいホラーへとなだれ込んでいく。展開そのものはもちろん、赤黒い背景も含めたグロテスクな画が思い切り映り、不気味な音楽と効果音もゴリゴリに恐怖を駆り立てる。子どもが見たら本気で泣き叫んでもおかしくない内容で、当時の観客がトラウマとして語ることも少なくないのは納得だ。

 しかも、ただ怖いだけではなく、物語が進むにつれて麦わらの一味の「仲間割れ」が容赦無く描かれていく。ゾロとサンジは原作以上にずっと険悪で、ウソップはナミの過去に触れるひどい言葉を言い放ち、いつもは女性に対して過剰なまでに優しいサンジが(他メンバーに合わせて言っているとはいえ)ナミを強く責め立てる場面まである。

 いつも和気あいあいとしていたメンバーのギスギスした対立と、苦しく恐ろしい戦いが描かれるので、「ワンピース」のファンであればあるほど、良くも悪くもつらい気持ちになってしまうのだ。

●元のプロットは「めちゃイケ」のようだった

 本作の脚本を手掛けたのは「めちゃ×2イケてるッ!」「ポツンと一軒家」などの放送作家としても知られる伊藤正宏。元のプロットは「めちゃイケ」的なムードの、その場その場で面白がらせていくバラエティ的な作りだったといわれており、その印象は確かに出来上がった映画の前半部に残っている。

 細田監督は、2005年の「WEBアニメスタイル」のインタビューにおいて、前作「ONE PIECE 呪われた聖剣」が大人っぽい感じだったことから、もっと笑いの多いものにしたいというプロデューサーの意図があったからこそ、放送作家の伊藤氏に脚本を頼んだのではないかと語っている。つまり、もともとのコンセプトでは確かにコメディー然とした、キャッチコピーポスターのような内容を目指していた……はずなのである。

●「ハウルの動く城」での経験とは

 では、なぜ脚本の時点では「めちゃイケ」のようなテレビバラティー的だったはずの「オマツリ男爵」が、実際の映画ではホラーかつ、深刻な仲間割れをしてしまう内容になったのか?

 細田監督は前述のインタビューにおいて、仲間を巡るテーマについて脚本上では「仲間は大事だ、みたいな」当たり障りのないものだったと明かしており、「絵コンテ以降の作業の段階で、元の脚本にあった要素を膨らませたりしていた」と語っている。

 こうした制作姿勢に大きな影響を与えたのが、本作の直前にスタジオジブリで作られていた細田監督版「ハウルの動く城」がお蔵入りとなっていたことだ。

 「ハウル」では当初細田が監督として指名されていたものの、制作上のトラブルのため降板し、そのチームも解散してしまった。しかも、当時のジブリは「千と千尋の神隠し」に人員が割かれていたため、細田監督自らが声をかけ集めたスタッフが多数いたという。

 しかし、細田版「ハウル」は頓挫。これにより、細田監督は結果的に信頼するスタッフを裏切ってしまったという自責の念まで抱くようになったようだ。それどころか、「誰も自分を信用してくれないだろう」「もう俺は終わりだ!」と絶望までしていたらしい。

 このような経験がストレートに反映されたのが「オマツリ男爵」なのだ。WEBアニメスタイルインタビューでも「『オマツリ島』はジブリでの体験が基になっている」「相手の懐に入って、イーブンじゃない戦いを強いられた時にどうなるかという話」だと、思いきり明言している。

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細田 そうなんだよね。要するに、そうなんですよ。『オマツリ男爵』という映画は、なんの映画かというと、僕のジブリ体験がね、基になってるの!(苦笑)

小黒 なるほど

細田 ホントに! 実は。実は、というか必然的に。

小黒 ああっ、分かった。オマツリ島がジブリなんだ!

細田 そうそう、そうですよ! 要は、相手の懐に入って、アッハッハ! イーブンじゃない戦いを強いられた時に、アッハッハ! どうなるかという話なんですよ。

ONE PIECE ―オマツリ男爵と秘密の島―』細田守インタビュー(2)/WEBアニメスタイル より

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●オマツリ男爵=細田監督という根拠

 つまり、劇中の「ルフィ=細田監督」ということなのだ。初めこそルフィは無邪気なまでに試練に挑み(細田監督はジブリに乗り込み)、麦わらの一味は抜群のチームワークを見せるものの(初めはチームで「ハウル」の企画を進められたものの)、仲間割れをしてたった1人になってしまう(チームが解散してしてまう)。このように、映画本編と細田監督の個人的な経験がリンクしているのである。

 さらに、オマツリ男爵は暗黒面に落ちた細田監督自身であるとも解釈できる。何しろ、オマツリ男爵はかつての仲間と一緒にいた日々が忘れられず、後悔の日々を過ごしており、抜群のチームワークを見せるルフィたち麦わら一味に嫉妬し、そして仲間割れをさせようと画策する。スタッフの解散をひどく悲しんだ細田監督の心の闇が、後半のおぞましいホラー展開およびオマツリ男爵に投影されたとみることができるのだ。

 また、ウソップがナミを見捨てて逃げてしまう場面(実際には罠のようなアイテムのせいで不可抗力なのだが)の後で、裏切り者だと非難されビンタされるという展開もある。本作では随所に、このような「裏切ってしまった」という自責の念を反映したような作劇が繰り返されるのだ。

●「新しい仲間を見つけてもいい」という価値観

 この「オマツリ男爵」では、物語後半において「かつての仲間のことは忘れて、新しい仲間を見つけて前に進んでもいいのではないか」という、見方によっては冷徹なメッセージが掲げられる。

 劇中では、かつての仲間にこだわりすぎたオマツリ男爵の悲劇を描いた上で、ルフィ麦わらの一味との離別を受け止め、新たな仲間を手にするかもしれない「可能性」が提示される。そして、細田監督はルフィというキャラクターについて、以下のような恐ろしいまでに冷徹な分析をしている。

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ルフィの目的は、ひとつなぎの財宝を見つけて海賊王になる事であって、今の仲間と冒険する事ではないんだもの。逆に言えば、ひとつなぎの財宝を見つけるために、仲間が必要だと言ってるわけで。そういう人物なんだよね」

ONE PIECE ―オマツリ男爵と秘密の島―』細田守インタビュー(1)/WEBアニメスタイル より

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 これについて「解釈違いだ」「ルフィはそんなんじゃない」と反論するファンもいるだろう。もちろん劇中ではルフィは仲間を心から信頼しているし、それは原作でも同じだ。だが、そのルフィが仲間を必要とする理由の1つには、自分の「海賊王になる」という最終的な目標があるから、というのもまた事実ではある。

 「ルフィお祭り男爵とは違って、失った仲間のことを振り切って、目的に向かって進める人間なのだ」と細田監督は考え、細田監督も自身がそうありたいと願っているのだろう。劇中でルフィが孤独のまま満身創痍になりながら戦い続けるだけでなく、「チョビヒゲ海賊団」の団長らと仲間になる可能性が示唆されているのも、そのためではないか。

 そして、現在大ヒットを続けている「ONE PIECE FILM RED」は、ルフィ幼なじみシャンクスの娘であるウタを通じて、やはり孤独でありすぎたがゆえの悲劇を描いている。この意外にもダークな話運びは「オマツリ男爵」を連想させるものであるが、いずれの作品もつらく切実なテーマを扱っているからこそ、現実を前向きに生きるためのヒントにもなる、意義深い物語だと感じる。

●人間なんて所詮は孤独、なのかもしれない

 細田監督の多くの作品で、ほぼ一貫している性質がある。それは、「現実の世界にいる主人公が、異なる世界とその住人に遭遇して、孤独に追い込まれる」ということだ。

 もっと言えば、「人間なんて所詮は孤独だから、自分でなんとかするしかない」という、達観した世界観が細田作品にはある。

 そのように残酷な世界を見つめつつ、そして主人公が孤独のまま(時には誰かの力も借りながらも)奮闘し、大きな決断をしたり行動を起こす様がエモーショナルだからこそ、細田作品は支持を得ているのではないか。

 とはいえ、「オマツリ男爵」では「ワンピース」というファンが多く、しかももともとはバラエティ的な明るいノリを目指していただろう劇場版で、ここまで自分の経験と作家性を反映した上、度を超したホラー的かつグロテスクな画と展開を作り出したのは、さすがにエゴがすぎるとも思う。

 他にも、細田監督の最新作である「竜とそばかすの姫」では、終盤の「主人公が孤独のままなんとかしようとする」展開で、周りの人間の行動が異常なことになってしまったりもした。このあたりで、作品として、また現実における深刻な問題に対しての歪(いびつ)さが現出してしまうのは、やはり細田作品が賛否両論を呼ぶ理由だろう。

●監督は孤独である必要がある、のかもしれない

 余談ではあるが、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」などで知られる原恵一監督は、12月23日公開予定のアニメ映画かがみの孤城」の発表によせて、次のようなコメントをしている。

「監督は孤独だ、などと云う。それは実際その通りで、自分は孤独では無い、なんて云う監督は大嘘付きか大馬鹿者だし、孤独に耐える覚悟が無い人間は監督なんかやるべきじゃない。スタッフキャストの仕事をジャッジして、OK、NGを決め、進むべき方向を示さなければならない。それは個人の意地を貫くことで、故にその責任を負うには孤独である必要があると思うのだ」

 なかなかにシビアなコメントだが、(アニメ映画の)監督は「孤独である必要がある」という言葉には、ひとつの真理があるように感じられる。個人の意地を貫くのはある種のエゴではあるが、そのエゴがあってこそ、作家性の強い、人々の記憶に残る作品を作り出すことにもつながるのではないか。

 ぜひ、細田監督が「ハウル」の経験でいかに「孤独」と、それによる「絶望」を味わったのかも鑑みながら、「オマツリ男爵」をいま一度見てみることをおすすめする。アニメ映画監督という仕事の「業」も、作品から受け取れるかもしれないのだから。

(ヒナタカ)

Blu-rayのジャケットではこの笑顔である(画像出典:Amazon.co.jp)


(出典 news.nicovideo.jp)


<このニュースへのネットの反応>

この監督は昔から原作付き作品を私物化するような展開が多いから、ただそれだけじゃないかな。最近だとルパン3世PART6でもルパン無視して自分のやりたい世界観で話かいてたし





そもそも初めて見たとき作画が何? これだったし


心理状態が悪いときに娯楽な創作物を作るべきじゃないのよ、八つ当たりみたいな暗い話にしかならんから


振り返った所でそもそも面白くない上に監督が主役に自己投影*ー映画の評価は変わらないのである。細田守は演出だけやってろ


見たはずなのにクソほども印象に残ってねえ


こういう作品のお陰で最近のONE PIECEの映画は原作者監修なったから結果OKってことでいいんじゃねえか?


ルパン三世PART6には細田守は参加してないぞ 押井守と勘違いしてないか?


叩かれるのは尤もな作品なんだけど、たまにはこういう異色作があってもいいんじゃないかと見終わって感じた。


当時はワンピの映画は滅多に観に行かず、レンタルビデオやDVDで済ませてた。で、この作品はすげぇドン引きして、2度観する気は起きなかったw


監督が描きたいものと観客がワンピースに求めてるものとが一致するとは限らないし、期待外れだったからといって監督を否定したりネガキャンしたくない。そんでもってこういう裏事情を知ったところで初めて見た時と評価を変えたりする気はない。こういう描き方もあるのかと思ったけど求めていたものとは違っていた。発見はあったけど満足はしなかった。そんな感じ。


キャラを理解せずにやるとこうなる悪い見本 細田は今後一切ワンピに近付くな!


原作のキャラがあるのに自分のやりたい事やってキャラを潰す・・一番やってはいけない事だと思う そうゆう事は自分のオリジナルでやれ無能


オリジナルは金がかかるんだよ


確かになんだこれ…ってレベルでホラー色あったし作画もいつもと違ってたな。一回だけ見る分にはいいがまた見たいとは思わんわなあれは。


俺これが初めての作品でトラウマ抱えて二度とワンピの映画見なくなったけどこの作品が特殊やったんやなぁ…


映画の内容より、アッハハ!に恐怖を感じたw


とりあえず、反応したり相手にしたりしてはいけない奴だ。


面白くないわけではないのだが、ワンピースか?と問われると首をひねるクレヨンしんちゃんあたりからシナリオ流用でもしたのだと思っていたよ


クレヨンしんちゃんってこんなに怖いものか?この時のワンピースの作画は理解は出来ますが


本当に記事の通りかは知らないけど、他所の原作を借りた作品で主人公=自分とか駄目でしょ。オリジナルでやるかゲストキャラ程度に留めないと


他人様の作品で*ーするなってコトよね


よりによってあたるにラムに惚れてることを自白させた押井のビューティフルドリーマーと通じるもんを感じたわ、


嫌いではないけど他所でやれやって意味でも


監督(ディレクター)を決定・依頼する制作(プロデューサー)サイドとしては原作付きの方が出資者(スポンサー)にアピールし易い事情があるし、名監督と呼ばれる人たちの多くは文芸(シナリオ)にも手を入れたがるタイプなんで、だいたいこーなる(;´・ω・) 原作ファンとしては監督には演出(ディレクション)と製作現場の管理だけ頑張ってくれたらええんやけどね(;´・ω・)


所詮、好みよ まぁオリジナルだけやれってこと でも最初のデジモン映画はこの人だったんだね


オリジナルやらせて貰う実力ない雑魚が人様の作品借りてオリジナルやろうとしてんじゃねーよ、お前の頭ゴミみたいな二次創作ネット小説垂れ流してる中学生か


のちの対談でも自虐というには攻撃的にすぎるワンピsageしてるので細田は監督失格で間違いない


futanari← 部外者さんは黙っとけよw 流石に言い過ぎだぞ? この人の経歴知らなさすぎ!!